鷹匠への道2

1979年3月13日の午前11時頃でした。

わたしの左腕から飛び立ったクマタカの加無号(かぶごう)は、
雪の斜面に沿って滑るように降下し、
雑木林の間を走るウサギにあっというまに追いつくと、
翼を広げて襲いかかりました。

加無号とウサギはもつれあって雪の上をすべり落ちていきましたが、
わたしは尾根に近い上方の斜面から息を凝らして見守りながら、
「その爪を離すな!」と心の中で叫んでいました。




10数メートル落ちてようやく止まったそのとき、
「ギャー、ギャー」というウサギの鋭い悲鳴があがりました。

「ついにやった。
 “最後の鷹匠”といわれた故沓沢朝治氏に弟子入りして以来、
 4年半ものあいだ夢に見続けてきたことが、いま目の前で行われている」

わたしは腹の底からつきあげてくる感動に耐え切れず、
そばの立ち木につかまって声をあげて泣いていました。

「この一瞬を追い求めてきたんだ。この日のために生きてきたんだ」
降りしきる雪の中に立ちつくし、いつまでも涙を流し続けていました。


わたしは少年時代から鷹狩りに魅せられ、
大学卒業と同時に迷うことなく鷹匠への道を選んだのですが、
その道のりは想像をはるかに越えてつらく厳しいものでした。

人並みはずれて動物好きのわたしにとっても、
野生を決して失わない鷹の訓練には気の遠くなるような忍耐が必要でした。

弟子入りした1年目はもちろん、
2年3年たっても失敗ばかりで1匹の獲物も捕らえることができず、
すべて自分の未熟さが原因と知りながら、
足元から飛び出したウサギにも反応しない加無号に怒りを覚えたことさえありました。


またウサギやテンなどの獲物も年々少なくなり、
深い雪の中を山をいくつも越えて歩くつらさは生半可なものではありません。

それでもわたしは、一度として鷹匠になることをあきらめようとは思いませんでした。
自分の手で育てた鷹が自分の腕から飛び立って
獲物を捕らえることだけを夢に描いてきました。
そしてこの日がやってきたのです。

このときの感動を、わたしは生涯忘れることはないでしょう。
この一瞬が、わたしの鷹匠としての人間としての原点といってもいいすぎではありません。

わたしはこのとき、死ぬまで鷹匠であり続けたいと願いました。
自然の中で生き抜き、どんなに年老いてもからだが動く限り、
鷹と二人、雪山で獲物を追いたいと。


2001年4月6日
松原英俊

コメントは下のボタンを押して別ウィンドウから投稿できます。